山田俊雄『詞林逍遙』

  • 漱石の全集につけられた注釈の粗雑で程度の低いものの例として三馬 漱石の当て字といふのを挙げてゐる。[三馬は当時はふつうの用字。わざわざ「漱石の」とする理由が全くない](p7)
  • 「学問所」と「学校」は共に古い言葉だが、明治初頭は学校の方がいかめしい語で学問所の方が一般によく通じる言葉だった。(p12)
  • [露伴の多彩な用字を列挙して]

ほんの一部を抜き出すと右の通りである。当世の漢字制限は、必ずしも将来に向かって悪いことではない。しかし、露伴の如き人への親炙は全く期待できない事態を将来した。私は、露伴の研究者の出でざることを歎くよりも、それより前に、過去をすべて不可解の世界として無視する世代の風潮をおそれる。また過去をふりかえるのに、特定の人の眼鏡を通した、フィルターにかけられたものを、ほんものと思わねばならぬ世代の頽廃を惜しむ。たとえば、『万葉集』にしても、芭蕉にしても、自らの眼で、その真の用字を原典を見つつ考えて、せめて、作家の人物への興味、作品のモチーフへの共感を、人の目を経ず人の口を借りずに考え述べてもらいたいと思う。露伴の博識を、自ら味わうことなしに露伴を読むことが出来るなんぞ思うのはナンセンスである。また露伴の博識を味わってもわからなくなるのを致し方ないことだなどと、なるべくは言いたくないのである。ただ、露伴芭蕉や『万葉集』を、我こそはその理会者だというような面がまえをするつもりもないのである。(p40)

  • よく分らないが取り敢へずメモ。

「極札」や「極書」の何たるかを全く知らない若いジャーナリストやエディターが、ラジオやテレビジョンにあらわれて「キワメツケ」などという妙なことを口走る世の中である。「極付」が、一方では「キメツケ」でもありうるのだから、致し方のない文字の欠陥には違いない。しかし、「あまりキワメツケの名演技」などという世代の断絶をわざと誇張するような無学は御免こうむりたいものである。(p49)

  • 「鬼が出るか邪が出るか」と誤記してしまふ人がゐることからも「ジャ(蛇)」が現代語では一般的ではないことが窺へるが、近世には蛇の呼び名としては「へび」や「くちなわ」よりも「ジャ(蛇)」の方が一般的だった。(p69)
  • 「悲願」は元々は如来誓願とか、菩薩のおこし給うねがい大慈大悲の如来」とか、「悲田」などの「悲」。悲母観音。「悲母」「慈父」の対。(p88)
  • 法眼・校合などをホーガン・キョーゴーと発音する人への違和感。著者の学生時代、講義のときに橋本進吉「コーゴーと読んではいけません。聞いていると別の意味の語になりますから」全く表情を変えないで、淡泊に語った。[「交合」になってしまふ。このエピソードは対談本『ことば談義 寐ても寤ても』に詳しい](p144)
  • 異体字の問題を考へる上では、字書からも精緻な、時代性を洞察し得る、明確な結論は容易に得られない。そこで、汎時代的・一般的考察の所産と見られる、太田晶二郎氏の「古文書のよみ方」(角川書店「郷土研究講座7」所収。副題「異体字一隅」)などが、光を放つ存在として取り上げられて来るのである。(p173)
  • 「瓜二つ」は詳しくいふと「瓜を二つに割りたるごとし」。「二つに割る」人為の結果、対称図形が得られることを譬喩に採ったそこに、諺としての妙趣が感じられる。かうした諺に使はれる物のたとへが分らないと諺もつまらないものになってしまふ。(p210)
  • 『誹風柳多留』などを見ても漢語だからといって必ず漢字で書くといふ習慣が確立してゐたわけではないと分る。耳で聞いてすぐ分るやうな日常語は多く仮名で書かれた。(p237)
  • 古語辞典・国語辞典の問題点。いはゆる古語のみを扱ひ、古今を貫いて重要なものを収録しないのでは古典語を一つのシステムとして捉へることができない。古語辞典・国語辞典の間に大きな裂け目があり、近世中期から大正期までの言葉について甚だしい欠陥がある。(p266)
  • 本のこと。

私は書物というものについて、厚い本のみを尊敬するものではない。極めて薄い、いわゆる片々たる小冊子でも尊敬しないことはない。たとえば、上代特殊仮名遣いについて説いてある書物、私がこの人だと思ってその人の教えていらっしゃる大学をえらんだ、橋本進吉の『古代国語の音韻について』という一三〇頁あまりの書物には、若い頃に、ひどく感激した記憶をもっている。それは、今日もなお大きな星の如ききらめきを保っているものである。また、神田喜一郎の『日本書紀古訓攷証』という名の、表紙の方が分厚いというような書物にも、多大の学恩を受けた覚えがある。(p335)

  • 「混沌」「椋鳥通信」「大発見」といった鴎外の作品から教へられる椋鳥主義