『お言葉ですが…〈4〉広辞苑の神話』高島俊男 文春文庫

読むのが何度目になるか。

小澤書店は、わたしの好きな本屋さんである。
森銑三さんは昭和六十年になくなった。この『びいどろ障子』は歿後の刊だが、正字、正かなで作ってある。
『思ひ出すことども』のなかで森さんは、中央公論社から著作集を出したいと申し出があった時のことをこう書いている。<私は旧人物なのですから、旧漢字、旧仮名遣でなくては、気に入らないのですが、と重ねていつたら、さうします、とのことだつた。今時旧漢字、旧仮名遣の本が出して貰はれるといふのは、私としてこの上もなくありがたいことだつた。>
小澤書店は、森さんのこの生前の願いにこたえているのである。
いま、正字、正かなの本を出すことは、森さんの著作集が出はじめた昭和四十五年のころよりいっそうむずかしくなっている。特に字がむずかしいらしい。いまの印刷所はコンピューターを使って版を組む。そのコンピューターに正字がはいっていないのだそうだ[この辺りの記述はは後のページに訂正がある]。
小澤書店は平成二年から六年にかけて『柴田宵曲文集』全八巻を出した。本文はもとより、なかにはさんである「栞」(月報にあたるもの)から帯にいたるまで、すべて正字をもちいてある。こういう本は今後もう、ちょっと出ないのではないかと思う。平成の日本の宝物である。もちろんわたしの宝物でもある。
ついでに言えば、これもわたしの宝物である澤柳大五郎『新輯鴎外割記』(平成元年小澤書店)も正字、正かな。ただしこの本は目次に〈「仮名遣意見」前後〉と、たった一字だけだが戦後略字が混入しているのがくやしい(本文ではすべて「假名遣」になっている)。
なお、以上あげた小澤書店の本、印刷はみな精興社である。(p254)

書いた分だけ。続きはまた今度。以下、25日に補足。
著者の父の使った言葉あぬけんだまとる(大の字に寝ること。あおのけざまに寝るではないか、と著者)についての読者からの手紙。

あの猫みてごんな、あなンとこであぬけんだまとって……、いかさま気持ちええげななァ(p236)

香川県丸亀出身の読者の母や祖母の言ひ方。

見てみい、るり(犬の名)があぬけだまとって寝とる。犬でもくたびれるとあぬけだまとるんじゃの(p236)

広島市の、大正十三年生れの人の親の言ひ方(自分の世代は使はない)。