『異体字とは何か』杉本つとむ 桜楓社 1978年

昭和47〜53年の論文集。

これまで論述してきたように、〈正字〉には二つの意味用法がある。(A)は<正しい文字>というごく常識的なものである。この場合、正しいの規準はあくまで同時代的であり、主として政治・政策――現代なら文部省の制定指示的な面からのものである。もちろんその基調には正と制定するに価する漢字自体の正しさを示す要素をもっている。もう一つ、(B)は〈正体字〉の略称としての<正字(正体)>で、これは本文中で、〈正体〉とも呼称したが、論述したように<本字>で言いかえられ、通体・俗体字に対応するものである。本源が明確になっており、(A)の〈正字〉と相入れぬ場合もある。すなわち現代の<学>の<正体>は<學>であり、〈学〉はその点では、〈正体>ではない。両者の規準の本質的異なりが判明しよう。(A)の立場からいけば、(A)の正字をのぞく異体字も本字((B)の<正字(正体)>)も誤字となる。これは何ら学問的に正誤の裏付けがあってのことではない。この二つの<正字>の矛盾を、現代の日本では〈旧字体新字体〉などという別の次元で一部妥協させている。建前はともあれ、本音では、〈学・學〉の両者とも(B)の〈正字(正体)〉とも考えている。かえって複雑にしたのが当用漢字字体の一側面である。しかしこれは一種の過渡的現象にすぎない。(A)の〈正字〉にゆれがあっても、(B)の〈正字(正体)〉は過去未来とほとんど固定したもので、同列に考える必要もなく、考えるべきではない。〈異体字〉は原則として、(B)の〈正字(正体)〉に対応するものであり、同時代の(A)の正字の実態を明らかにする効用がある。(p86)

「藝」を「芸」とすることに反対ならば、(本字ではない)「法」は何故構はないのか、借りものの知識をふりまわして否定してゐるだけなのではないか、と言ふ。(p64)
「藪そば」は、例へば『新潮国語辞典』にある幕末の江戸に「つたや」という蕎麦屋が藪の中にあったことから蕎麦を藪と呼ぶというとする説明よりは、ざるのやうな竹器である×[藪の上が草冠でなく竹冠]の異体字として解く方がいい(竹←→艸)、と言ふ。(p88)
片仮名も厳密にいうと、漢字から直接につくられたのではなく、いわば正体→異体→片仮名となってきた点を認識しておかねばならない。(p72)
「ふみ(文)」は漢字音の転化だとする説があるが、既に幕末に関政方が『傭字例』で、<文>の古代中国音はであることを考証して、それまでの誤りを訂正してゐる。(p213)
よく古文書にみえる<ハ・ニ>など、じつは平仮名字体であって、もし現行の仮名字体に統一するならば、とうぜん<は・に>とすべきである。文字も時代とともに字形変化をもつのである。(p215)
日葡対訳の<ソルバ 東>が<アルバ(アルヴァ)>alvaの誤写と分るまで苦労した話。(p218)
呉音と呼ばれてゐるものは、仏典とともに日本にはいってきたと考えるよりも、日本語の基層にあった有史前からもっとも一般的に用いられていたシナ語音ではなかったか。(p225)

一、楷書体に限る(漢字論一般の前提でもある)。、
二、同時代の文字体系の中で、AならばAなる漢字が、他と異なるそれ独自の構造をもっている場合、これを一つの独立した漢字と認める(右同)。
三、同じ文字体系として、認定できるその文字観念(同一文字観念一に対応する構造をもつ場合、その漢宇は幾種類かの変体[バリアント]として存在することが可能であり許容される。これを異体字という。これらのうちもっとも一般的に認容されており、一つの本源を充足させる構造字体をもつ漢字を正体と考える。これに対してその他のものを異体字と呼ぶ。したがって、本質的には正体には発生の根源が原則としてそなわっており、異体はそれを二次的に添・削により、また他の類推などの方法で字形変化を与えたものである。文字としての価値と意義はどこまでも、相対的なものとしてとらえるべきである(ただし、中国ではそこに政治的、民族的、地理的にぬきさしならぬ感情と理性の相剋をもつ)。
四、通体・俗体・俗字・言為字(誤用)・省文(省字)などすべてを一括して異体字としてまとめ、それらを異体字の下位区分として再整理できるものと考える。いわゆる〈異体字〉は狭義、すなわち<俗体・通体>に限定して用いることが好ましいと考える。
五、その時代の漢字として、公的、社会的に認められるものを〈正字〉と呼ぶならば、異体字も 講 字も〈正字〉となりうる。一時代前の異体字( 譲字をふくめて)が、次の時代は正字として認められうる。これは言語変遷の鉄則である。慣用と認容の集積がこれを決定すると思う。しかし〈正体〉と<正字>とは分類や判断の基準が異なることを銘記すべきである。
六、その一定の社会が受け入れているか否かで、その漢字が真に、言語(学)として正しいか誤りかが決定されるのであって、古いとか、出典があるとかという点で判断すべきではない。従来はこの点であいまいであった。すなわち、〈正体>即〈正字〉ではない。
七、公的文書などに用いぬ異体をかりに〈俗字〉と呼ぶことは、一つの便宜としては認容できるし、そうした意味合いでのみ用いるべきである。
八、〈本字〉の略化したいわゆる<略字>も、省略された部分への文字観念的省略はあり得ない。もし省略されてその部分が惹起できぬ時は欠落であり、文字ではなくなる。あるいは別字である。
九、略化のかなり徹底したものは、第二次的文字観念により補いを必要とし、それによって第一次的文字観念との脈絡を得て、.はじめて同一文字(観念)を構成するものとしてとらえられる。これを特に<省字・省文>と呼ぶ。
十、字画の増減により、別の文字構造を形成した場合は、その字はこれではないと言える。すなわち、〈別字(別の漢字)>と呼ぶ。構造的、観念的に二つ以上のもの、あるいは何ものをも惹起しえない時は、誤字か漢字(文字)ではなく線の集まりにすぎない。通俗的には、誤字とは〈達〉と<達>のように、一画すくない場合などである。しかし本質的には、〈異体>と呼ばれるものもあって、両者を峻別するには、文字学の十分な学習と修錬を必要とする。みだりに誤字とはきめつけられない。
以上、定義というよりは、漢字一般を考えるうえで、基本的に考えておくべき要点をとりあげてみた。(p9-11)

以下、いかにも時代を感じさせる漢字廃止論。旧世紀の遺物・異物だ。

わたし個人の立場からいけば、漢字廃止を将未の日本語表記のあるべき姿と考えている。漢字は造語力があるという論にはトリックがある。わたしは漢字廃止を考える故に、徹底的に漢字を研究し、自分で納得のいく結論を出そうと努力している。しかし研究すればするほど、漢字が将来とも日本語の表記文字としてもっとも好ましいとは思われないと確信している。しかしわたしの研究が、いわゆる漢字愛好者などに誤解されているのは残念である。わたしは決して漢字の味方ではないし、ぼくめつ者でもない。漢字を勉強すればするほど、むしろその害の方が多いことに気づいてくると思う。〈け(毛)〉の一語をもとに、〈けむし・けもの・けだもの・けがわ・むなげ・かみのけ〉と組み合せでどしどし派生語をつくり、しかも文字数はごく限られた範囲でいい仮名にくらべ、漢字(中国人)ならば、〈蠋・獣・毛皮・胸毛・髪>と個別的に文字を作り、おぼえていかねばならない。ものあり、名ありで、一つ一つ漢字をつくりだしていけば、森羅万象に対して何億の漢字を用意したらいいのであろうか。ましてジョンブル(英国人のあだ名)も約翰牛、ペニシリンも青霉[雨冠に毎]素と書くにおいてをやであろう。もっと仮名の効用をありがたさをじっくりと考えてほしい。(p84)

なぜか途中で日本語表記よりは漢字(中国人)の話にすり替ってゐる。この論にはトリックがある

漢文は滅びた。そして…

コンピュータなどの操作の場合、よく耳にすることであるが、現在の日本は、漢字を用いているし、漢字かなまじり文が、標準的な文章のスタイルであるから、そのためのプロジェクトを、考えねばならないという。ローマ字やかたかなでの表記は実用にならない。したがってコンピュータも、その領域でとどまっていたのでは役だたず、いくら金がかかっても、漢字かなまじりの場合を、真剣に考えねばならないというわけである。しかしこうした前提は、果して本質論的に正しいのだろうか。この方面にずぶの素人であるわたしは、こうした論議?をきかされると、未来にまで不安をもつ。では漢字を制限せずとも、どんなに画数の多い漢字が登場しても、やがて電算機は、真摯にして聡明な科学者によって、あらゆる困難をも克服するというのであろうか。精巧な機械によって、冑兜が瞬時に製作されるからといって、再びむかしの武将にもどらねばならぬいわれが、どこにあろうか。電算機による言語処理の革命には、何よりも前向きの態度が必要であり、処理以前の言語の本質が、あり方が問われねばならないのではあるまいか。そうでなければ、電算機を一時開店休業にしておいた方が、根本的な文字改革や、文化革命のためには是なりとわたしは考える。(p232)

「冑兜」に喩へる辺り、トリックがあると思ふ。

漢文はここにおいて滅びた。しかしそれには約百年ぐらいの試行錯誤があったと思う。そしてやがて漢字かなまじり文も終焉の時がくるだろう。世界共通文字のローマ字の時代が、必ずくると確信する。こうした歴史の流れに立って、なおかつコンピュータは漢文までもつくり出そうとするのだろうか。日本語の現在と将来を見とおした、誤りないプログラミングを切望する。(p236)

中国人民の数千年にわたる、近くはここ千年余にわたる生活文字の発展の歴史の上に、現代中国の<簡体字>の基盤も、存在すると確信するのである。同時に、中世・近世の漢字の実際を、人民大衆のがわから見る時、日本もまたその路線を進み、徹底した簡略字の制定確立が可能であったと思う。しかし明治のブルジョア革命と、第二次大戦後の旧思想、無政策な政府や教育は、この長い間の日本人の漢字史に思想と、それにふさわしい文字を確立することができなかった。そしてそのままわずかに制限や、一部思いつきなしくずし的略字で、間にあわせてしまったのだ。<觸>は<触>、〈燈>は〈灯〉とするといった当用漢字字体の制定など、まさに中世的であリ、わが先輩に、ザンキせざるべけんやではないか。一つのシステムをもって、字形や字体を整理するのではなく、さりとて歴史主義でもないのである。思想や表現が文字にもたれかかっている限り、新しい創造も発展もない。言語能力の開発など、およびもつかないのではないか。石川啄木がローマ字日記を書くことにより、その前後で、雲泥の差ある日本語文を創始したように、文学者もこうした点に、十二分の努力と勉強をしていただきたいものである。そしてさらに徹底した漢字の簡略化、字形の整理を原則をもうけて資料提示するように切望する。やがて漢字もなくなるであろう。その時、日本語は当然の、しかも相応の姿をもって、変身していくと確信する。日本語だけでなく、日本も日本人も生まれかわるのである。漢文でなくかな文が、道理を説き明すに、いかにすぐれた文字であるかは、既に歴史学者でもある僧慈円が七百年も前に、宣言し実行しているのである。(p243)

ふりがなの廃止を

おわりにふりがなのことを考えておかねばならない。上でも二、三例をあげておいたが、漢字とその右側にふりがなをつけることが一般的になったのも、ここ四、五百年の歴史をもっている。もしかなが発明されなかったならばと思うと、ことは単純ではない……。現代もふりがなと漢字の結びつきは中世的ですらある。いつまでも漢字や漢語が整理されないのも、このふりがなに、その責任の一端がかかっている。必要悪とでもいうべきものかもしれない。しかしそれ故に、過去の日本語が、声を出してハッキリと読めることにもなるわけではある。江戸時代になって多くの人びとが、いち早く読み物を自分のものにし得たのも、現代の義務教育終了者が、漢字の難関を克服できるのも、みなふりがなのおかげである.しかし長所は短所である点、コンピュータまでふりがな付きの漢字がうてるとなると、ますます堕落していくのではあるまいか。(p244)

意図に反して振仮名のおかげで漢字廃止の必要が無いことを言ってしまってゐる。
書いた分だけ。続きはまた今度。補足した(10月23日)。