斎藤緑雨「ザマ見やがれと当人しるす」

抜萃。

緑雨の随筆を紹介した序に、その雑文をも一つ挙げて置きたい。博文舘の看板雑誌『太陽』では、創刊当時、諸家の寄稿の初めに、その人の小伝をも附することにしていたのであるが、その文を書けとの注文に代うるに、緑雨は次のような短文を以てした。おおよそ人を食った文も、これほどなのはないのではないかと思われる。

略歴を掲げよとや。僕の族籍年齢が知りたくば、区役所にて調べたまへ。番地が分らずば、派出所にて尋ねたまへ。正直正太夫と申す別号あれども、これは証文の用に立たず。戒名はまだ附かねど、寺は禅宗なり。幼より聡明穎悟は言ふ迄もなし。右の手に箸持つ事をつひぞ忘れぬにても察したまへ。全体文豪といふは、むかしから性の知れぬ者なり、彼の沙翁を看たまへ、巣林子を看たまへ、今以て性が知れぬにあらずや。海とも山とも性の知れぬ点に於ては、僕もたしかに文豪なり。名刺の肩に大日本帝国文豪と書入れても、諸君は決して之を拒むの権利を有せざるべし。ザマ見やがれと当人しるす

編輯部の要求することには、一言半句も答えず、勝手な熱を吐きなから、然も緑雨の自己の面目を、その裡に躍如たらしめている。これは天地間の奇文中の奇文といってもよいものかと思うのである。(森銑三『史伝閑歩』p229)

大槻文彦『復軒雑纂1(国語学・国語国字問題編)』平凡社東洋文庫

p306の鈴木広光による解説。

文彦も主査委員をつとめた国語調査委員会は明治三十九年に『口語法』を脱稿している。「発音ノママ」の仮名遣いが拠るべき「今言」、すなわち標準語がここにすがたを現したのである。それはまさに江戸国学以来の規範から離れ、年来の持論を実践する好機であったにちがいない。しかし、文彦や芳賀矢一らの賛成意見は、陸軍の威光を背に熱弁をふるった軍医森林太郎をはじめとする反対派の意見にかき消され、仮名遣い改訂論議は暗礁にのりあげてしまう。この年の十二月十二日、勅令第三百十二号により、臨時仮名遣調査委員会は廃止された。

鴎外の意見の内容には全く触れず、熱弁をふるったといふ表現で印象操作をしてゐるわけかな。假名遣意見を信じるならば、熱弁をふるったのは大槻の方らしいのだけれど。

[略]
これから少しく自分の意見を述べようと思ひます。最も私が感嘆して聽きましたのは大槻博士の御演説でありました。引證の廣いことは固より、總て御論の熱心なる所、丁度彼の伊太利のRenaissance時代のSavonarolaの説教でも聽いたやうな感がしました。私は尊敬して聽きました。併し其の御説には同意はしませぬ。少數者の用ゐるものは餘り論ずるに足らない、多數の人民に使はれるものでなければならぬと云ふのが御論の土臺になつて居ります。併し何事でもさう云ふ風に觀察すると云ふと、恐くは偏頗になりはすまいかと思ふのであります。[略]

" Target="_blank">作文添削若干条(近代デジタルライブラリー)

watchの発音(についての妄想)

昨日ラジオのチャンネルをあれこれ変へてゐたら「ワッチと発音するほうが一般的ですよ」と言ってゐるのが耳に入った。前後の脈絡は全然わからない。だからwatchの発音についての話かどうかも知らないのだが、おかげで教へられた。
「ワ」だと日本語の「ワ」になってしまふから「ウォ」と教へるやうになったのだらうな、日本語にはない発音なんだよな、と当り前のことに今更ながら気づいた。
といふことなのだが、watchの発音についても調べたわけでもないし、ただの妄想だな。きっかけからしていいかげんな話。