大槻文彦『復軒雑纂1(国語学・国語国字問題編)』平凡社東洋文庫

p306の鈴木広光による解説。

文彦も主査委員をつとめた国語調査委員会は明治三十九年に『口語法』を脱稿している。「発音ノママ」の仮名遣いが拠るべき「今言」、すなわち標準語がここにすがたを現したのである。それはまさに江戸国学以来の規範から離れ、年来の持論を実践する好機であったにちがいない。しかし、文彦や芳賀矢一らの賛成意見は、陸軍の威光を背に熱弁をふるった軍医森林太郎をはじめとする反対派の意見にかき消され、仮名遣い改訂論議は暗礁にのりあげてしまう。この年の十二月十二日、勅令第三百十二号により、臨時仮名遣調査委員会は廃止された。

鴎外の意見の内容には全く触れず、熱弁をふるったといふ表現で印象操作をしてゐるわけかな。假名遣意見を信じるならば、熱弁をふるったのは大槻の方らしいのだけれど。

[略]
これから少しく自分の意見を述べようと思ひます。最も私が感嘆して聽きましたのは大槻博士の御演説でありました。引證の廣いことは固より、總て御論の熱心なる所、丁度彼の伊太利のRenaissance時代のSavonarolaの説教でも聽いたやうな感がしました。私は尊敬して聽きました。併し其の御説には同意はしませぬ。少數者の用ゐるものは餘り論ずるに足らない、多數の人民に使はれるものでなければならぬと云ふのが御論の土臺になつて居ります。併し何事でもさう云ふ風に觀察すると云ふと、恐くは偏頗になりはすまいかと思ふのであります。[略]

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