森銑三著作集 第12巻(雑纂)

抜萃。原文は正字。「先生」は井上通泰

歌は先生にはあくまでも伝統的な文学であった。着想は清新を尊ばれたが、それも伝統的趣味に立脚すべきものとせられたらしかった。修辞はあくまでも典雅たるべきことを要とせられた。新語の使用に当っては、それが歌の本来の調を乱すものか乱さぬものかを厳重に吟味せられた。わざわざ廻りくどいことをいはずとも、汽車は汽車、こすもすはこすもすでよいとせられたが、といって電車は困る、たんぽぽは用ひられぬ、といはれた。かやうな制限は、初歩の人々には窮屈に感ぜられるわけだったが、「相撲も土俵といふ狭い制限せられた場所で秘術を尽すところに面白味がある。歌にしても三十一音といふ短い形の上に、いひたいことを過不及なく表現しようとするところに面白味があるのだ」といはれた。言葉もまた同じことで、雅馴な言葉でいひたいことをいはうとするところに面白味があるわけだった。それだけ歌はむづかしい芸術であり、素人が我流に纏めて、それでいいといふやうな安価なものではない。始は必ず師に就いて学ぶべきものとせられた。

しかしまた先生は、時には、「歌などわけはないよ。てにをはさへ手に入れてしまへばどうにでも作られる」といってゐられた。用語に就ても、「言葉は自由自在なものだ。いろいろ用意して置いて、甲が差支へたら乙、乙でいけなければ丙と、場合に応じて使へばよい。雨天には高下駄、晴天には駒下駄、時に依って日和下駄と、天候次第に履いて出ればよい」といはれた。

(p437-438)

言葉の吟味の厳しかった先生は、古語を誤って使ってゐるのを痛く嫌はれた。真淵を取られなかった理由の一もそこにあった。『万葉集』に対して正しい理解もなくて『万葉集』を振りまはし、万葉調と称して怪しげな歌を作り散らしてゐる者達をも、「歯が浮くやうな」と軽侮してゐられた。古語も現代語も混用してゐる歌を見ては、「冠を着て、下駄をはいたやうだ」といはれた。道具立の多い歌も嫌はれた。「実ばかりあって汁の少い吸物を出されたやうで、咽につかへる」といはれた。
(p430)

その他、いい加減にメモ。
蕃山『源氏外伝』、白石、徂徠、仁斎、清田タンソウ、山陽、横山健堂