学問のすすめ

二つをざっと読み比べてみた。伊藤本は再読。

角川文庫版の間違ひと思はれる部分

p74政府の処置が不適当だとして罪人に味方するのであれば→[「不適当で」だらう]
p79あの徳川幕府時代の御大法→[今(明治)のものも指してゐるのではないか]
p93前もって他人の考えを理解しようとする心構えができていれば、自らの過ちを[略]、必ず自らの[略]、
→[「〜した以上は」ではないか。理解よりは同情ではないのか。「おのづから」ではないのか]
p98生まれながらの至誠の心があります[略]、本当の誠の心です
→[前と同じやうな訳でいいのではないか]
p100貴い方だからといって、[略]天子様の思いのままというわけにはいかないでしょう。→[貴いから、〜(何ひとつ)将軍様の思ひ通りにならない]
p104それ[仏書]によりますと、[略]、としています。→[このありさまを見ると、まったく仏書の言葉通り〜だ]
p105これは、複数の妻をもった人が自分で言った言葉です→[「夫子自らいふの言葉なり」の訳。誤訳に近い悪訳だと思ふ]

角川版・伊藤本に違ひがあって迷ふ部分

角p135/伊p157 原文「その注文はあれども」 角「望まれる理想像ではありますけれども」 伊藤本の注「そんな理想だけは描いても」→[よく分らないが、注文書とか設計図とかすべきではないのだらうか]
角p153/伊p177 原文「自由貿易の功徳をもって」 角「自由貿易という美辞のもと」 伊藤注「功徳は英仏人にとっての利益」→[功徳は皮肉ではないのだらうか]
角p201/伊p233 角「蒸気機関車にエンジンがなく、」→[これは動力を活かせないといふ譬喩なので、伊藤本が正しいのではないか]

角川本の方針の一部(p9)

当時の日本社会の慣習から、階級的差別や民族的偏見等に関する箇所がところどころに見えますが、一部は表現の程度を和らげたり、削除したりしただけで、実状を知るために必要と思われるものは、あえて原文のままとしました。

だけでだと??? あえてだと???
などと怒ってもしょうがない。「どうせ角川だから」(「階級的差別」かな)と寛容に笑顔で(鬼の笑顔)受け流さう。