伊藤正雄『福沢諭吉警世の文学精神』春秋社1979年

学問のすゝめ前半八編までは翻訳に肉付けしたもの。翻訳臭皆無なのが見事とのこと。
徳富蘇峰が『人物管見』所収の文章で『文字之教』をほめてゐる。
福沢びいきの人々。小泉信三中野重治正宗白鳥、山田愛川、海音寺潮五郎大内兵衛
中野『日本語 実用の面』の「福沢諭吉森鴎外」。
福沢と勝海舟は似すぎてゐたから仲が悪かったのではないか、と言ふ。
福沢は執権北条氏や家康のファン(初期は違ふが)。
福沢のユーモアあふれる譬喩・皮肉の面白さを指摘してゐる。

目次

『学問のすゝめ』の文学性――小泉信三記念講座講演――
『文学之教』の功績
文明論之概略』に学ぶべきもの
バジョツトの『英国の国家構造』と福沢の皇室論
『福翁百話』に見る福沢晩年の思想
『福翁百話』余録
福翁自伝』はいかに読まれてきたか――山路愛山から佐伯彰一氏まで――
『瘠我慢の説』私説――福沢諭吉勝海舟批判是か非か――
馬場恒吾の福沢観

福沢諭吉の教育論
福沢諭吉の英雄観
福沢諭吉の士魂
オデデコチーブ――福沢諭吉との出合い――
人名索引・文献索引

今次戦後の国語改革――当用漢字・現代かなづかい・当用漢字音訓表等々の施行――は、一見、往年の福沢先生の国語簡易化の精神に合致するように見える。しかしあまりに安易な改革の結果、日本の言葉や文字が粗末に扱われ、大学を出ても手紙一本ろくに書けぬ国民の激増しつつある現状は、決して先生の素志に添うものではあるまい。『文字之教』は、全国民にとって必要不可欠と認められる最小限度の漢字のみを集めたものに違いないが、それすら戦後制定された当用漢字には入れられたかったものが少なくない。その全部を拾ってみると、
猫喰髭蛇逢噛椀狐鼠猿攀云濯鷲游厩蕃椒怨妥痩餅
禽雖或慾雀糊其亦悉屯裳涸拭絲崎蒔虎鷹此斯鍋釜
鋪檜杉瓦据茸桐梯棚喧嘩竈桶皿鉢膳櫃蒲帷袷硯揃
朋塾焚於鳩慥憚嘸扨俄哉忝麁甚彌昌只儘誰尤稼揆
の約九十字に及んでいる。これらの漢字は、その総てといわぬまでも、大部分は今も一般に使用されているものであり、日常必須の実用的文字である。それすら当用漢字には外されて、学校教育から閉め出されているのだから、いかに現行の当用漢字が不完全なものかは、言うを俟たぬであろう。
また、例えば『文字之教』が挙げている「降」(くだる)・「如」(ごとし)・「如何」(いかが)・「何卒」(なにとぞ)・「煙草」(たばこ」)等々の類は、文字白体としては当用漢字に入っているものの、いわゆる当用漢字音訓表の制約のため、カッコ内の訓は認められていない。(近年制限を緩和した改定音訓表にさえ、右の訓は入っていない)。この種の例を数えれば、枚挙にいとまがないのである。こうした窮屈な制限だらけの国語教育では、目本人の表現生活や読書生活が満足に行われるわけはなかろう。敗戦の虚脱期におけるあまりにも軽率な国語改革の偏向が、青少年の精神生活を低下させつつあることは掩えない。少なくとも漢字教育に関する限り、現代の客観情勢は、明治初年とは全くあべこべでおる。さすれば当初漢字節減の目的を以て編まれた『文字之教』は、今や福沢先生の意図とは逆の面から、現代の国語教育の欠陥を反省すべき一の指針たるを失わぬであろう。

本書巻末の文章平易化の主張に至っては、現代人にもそのまま当てはまる。明治の学者は、漢字漢文の力があり過ぎたため、不必要な難文を弄んだが、現代の学者や評論家は、日本の伝統的な言葉や文字の知識が貧弱なため、迂遠な翻訳調の難文を連ねて憚らない。しかも、難文ほど思想深遠な高級の文章だ、錯覚する読者の迷信も古今同一轍である。内容がむずかしければむずかしいほど、表現は力めてやさしくするのが真の学者の責任ではないか。「少年ノ輩必ズ其難文二欺カレザルヤウ用心ス可シ其文ヲ恐ルヽ勿レ其人ヲ恐ルヽ勿レ気力ヲ慥ニシテ易キ文章ヲ学ブ可キナリ」という福沢先生の訓言は、現代の著者にも読者にも、痛烈な頂門の一針といわざるを得ない。(p50-52)

「天は人の上に」の方は、戦後の民主主義杜会のウタイ文句には持って来いだから、どの教科書にも必ず出ている。どこの学校でも一応教えます。しかし敗戦で一時独立を失った目本において、「独立自尊が国家独立の根本緒神だ」というような教えは、アメリカにとって甚だ工合が悪い。そのせいかどうか知りませんが、「独立自尊」の方は棚上げの格好になって、目本の独立が回復した今日でも、あまり教育の面に強調されているとは思われない。その点では、戦後はまだ終っていないように見えます。福沢諭吉といえば、ただ基本的人権の平等を唱えた思想家だ、というような一面的なことしか一般には知られていないようであります。しかしそれは明らかに片手落である。元来「天は人の上に云々」の文句は、御承知のように、『学問のすゝめ』の冒頭の文句にすぎない。〈天から与えられた人権は平等である。されども人間世界に賢愚・貴賤・貧富の差別が生ずるのは何故か。それは学問のあるなしによるのだ。だから、人たる者はすべて学問に志さねばならぬ〉と続く文脈であります。そこに『学間のすゝめ』の学問の勧めたる所以がある。その「されども」以下の本論を切捨ててしまって、前置だけで福沢精神を代表させるのは、地下の先生にとっても甚だ不本意であろうと思います。(p273)

[福沢のやうに]馬場もまた『政界人物評論』のはしがきに、評論家としての自己の根本姿勢を次の如く表明している。

人物を評価する上に於いて、私は点が甘いといふ批評を受けることがある。敢て私の立場を弁護する意味ではないが、人物評論を書く時の私の心持を述べさして貰ひ度い。私は人を評論する時、できるだけ資料を調べ、本人をよく知った人たちにも会って事実を確かめる。さうすると、初めはいやな人間だと思ってゐた者でも、存外いい所が出て来る。どんなに悪党に見える人間でも、其人の真実の味に触れて見れば、さう憎むべき人はゐないものだと感ずるやうにたった。そこで、もし何か其処に味があるところを発見できなければ、寧ろ始めから其人物を批評しない方がよいと決めた。従って書く程の人物になると、何か其人物に私が感心した所があることになる。これが私の人物評論に甘味が勝って見える所以であらう。言葉を換へて云へば徹頭徹尾、悪評ばかりせねばならぬ人物は、元来人物評論の題として取上げる価値のない人物だと私は思ふのである。(大意)。

と。たしかに馬場の人物評論は、他の評論家のそれに比べると、平凡で分り易い代りに、常識的で、鋭さが足りないというのが定評だったようである。しかし、そこに、言論人として他人の人権を尊重する深い自覚と用意とがあったことを認めざるを得ない。そしてそれは、とりも直さず、『時事新報』におげる福沢の老熟した執筆態度と相通ずるものではなかろうか。
徒然草』に、「よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ。妙観が刀はいたく立たず」(二二九段)という文句がある。すぐれた彫刻家は、切れ過ぎない刀を用いる。妙観という昔の名工は、あまり鋭い刀を使わなかった、というのである。人物評論にも当てはまる戒めであろう。[略](p233)