日本古典文学大系『今昔物語集』1(山田孝雄、山田忠雄、山田英雄、山田俊雄校注・岩波書店)

いつの間にか山田俊雄ファンになってしまったので借りた。読まずに見ただけ。
月報にある湯川秀樹の文章。

今度の古典大系今昔物語集では、例えば法華経にはホクェキャウと振仮名がしてあるそうである。発音は当時の辞書によったのだという。このような本文を作り、その上に詳しい注をつけることは大変な労苦であったろう。私は、かねがね国語問題については、これ以上日本語の発音の種類をへらし、音節的に貧弱な言葉にしてはいけないという意見をもっている。ある時代の発音を正確に記すことが、現代の目本語を反省する一つの材料となり得るのではないかとも思っている。昔の日本人は、今よりも、もっと多くの音を使いわけていたのだということを聞いた。従来のローマ字論や、かなづかいの議論では、文字の単純化と一しよに、発音の種類もへってしまったりしないための考慮が十分なされていないように思う。日本字を表音的にすることはもちろん必要であるが、発音自身の種類がへりすぎると、低級言語になるほかない。もともと字が無い日本に、文字が伝来した時、初めは発音に対応する漢字を見つけようとしたのであろう。しかしだんだんと発音そのものより漢字の形にたよるようになっていった。それに伴って日本人の発音に対する感覚が鈍麻していったのではなかろうか。その意味で、昔、どう発音していたかを知ることも、今後の日本語のあり方を考える上に、参考となるであろう。それから、個々の言葉や、文字や、発音だけでなく、今昔物語の文法には、いわゆる文語体の文法と、少しちがっているところがあるように思われる。これと関達して、文語と口語とにどうして分化していったのかにも、私は興味を持っている。
私は京都に住んでいるから、古い建築物や美術品や庭園に接する機会が多い。そういう目に見える文化財を大切にするのはもちろん結構なことである。しかし日本語を愛し、それを大切にすることも、それにおとらず必要なことである。今日私どもが使っている日本語にもっと愛情を持つべきではないか。そしてまた今日の日本語を生み出した過去の日本語をも、もっとよく知るべきではないか。そういう愛情や努力の中からこそ、よりよい明日の日本語が生れ出てくるのではなかろうか。

月報にある略歴。

編集室より

▽本巻担当の先生方の略歴は次の通りであります。
山田孝雄(やまだよしお)明治六年五月十日生。国語・国史学界の耆宿として、数多くの業績を遺され、神宮皇学館大学学長を最後に、公職を退き、戦後は、特に俳諧の研究、辞書の作成に力を尽された。本書進行中の昨冬十一月二十日に逝去。主な著書「日本文法論」「奈良朝文法史」「万葉集講義」「平家物語考」「三宝絵略注」他。
山田忠雄(やまたただお)大正五年生。昭和十四年東京大学卒。現職は日本大学教授。専攻は日本語の語史調査。
山田英雄(やまだひでお)大正九年生。昭和十七年東京大学卒。現職は新潟大学助教授。専攻は日本古代史。
山田俊雄(やまだとしお)大正十一年生。昭和十九年東京大学卒。現職は成城大学助教授。専攻は国語学

凡例にある分担。

  • 九 この分冊における分担は次の如くである。
    • (一)英雄は底本写真に基いて本文原稿を作製し、固有名詞に頭注をつけ、解説の一部を起草した。
    • (二)忠雄(巻三まで)俊雄(巻四以下)は(一)を原本もしくは写真によって分掌校正し、よみがな・頭注をつけた。
    • (三)孝雄は全冊に亙る最高方針を授けると共に、(二)を通覧・点検し、疑義に答え、要点を指示した。
    • (四)底本・校本の選定および写真撮影等の庶務、補注・解説・梗概の執筆並びに(二)の統一等の実務には主として忠雄が当った。
    • (五)校正は主として忠雄・俊雄が行なった。酒井憲二君は忠雄を輔け、校正と校異の作製とに尽瘁した。