斎藤緑雨『小説八宗』『小説八宗に付て』

底本は『齋藤緑雨全集 巻一』。

小説八宗 [正直正太夫]

時勢ハ變遷仕つる、節物ハ代謝仕つる、流行物の日を逐ふて廻しを取るハ今日只いま娑婆の約束なり見やれ改良熱より割て出たる際物の能く長持致せしハ餘り多く御座無いにあらずや、あらざるが唯一つ往生せぬハ小説の流行なり今以て壽命を繋ぎ居るハ扠々命冥加な奴と云ふべし殊に新手[しんて]を出し飽き器械を用ひ勞れて更に昔に返り痴者[こけ]の晦日西鶴才覺と嬉しがるもあれバ自笑誓紙じや其磧調じやと(これハ酒落なり受取ぬとあらバ何時返却あるも妨げなし)難有がるもあり實々小説道ハ賑かなることなりされバこれなる小説八宗の目的ハ當今大家と呼るゝ方々の御規則を初學者に示すに在てどれへ就うともおの/\の勝手ながら可成くハ御法度の趣を豫じめ呑込せ置んとの意に外ならず尤も恐れみ畏み諸書を參照して解釋を施したるものなりと雖も印紙貼た證文とハ異れバ萬々一大家方の思召にそぐはぬ廉の有之るやも知れねど拙者正太夫儀ハ惡たい默たいをつらねて大家方のお徳を汚し[けがし]奉つるの存念にあらざることハ神明かけて誓ひ申すべく何となく必要あるを感じてよりの細工事なれバ麻繩に縛されたる西瓜井戸へ入てひやかすのだ等の御邪見ハくれ/″\も御無用なり世辭も愛素も色氣もない正直正太夫ハハテ何處迄も正直正太夫なり但しこの八宗に加りたりとて御恐悦に及ばず漏たりとて御心配に及ばず先づ今日を初として續八宗續々八宗續々々八宗など引切なく撰[えらみ]に載する積りゆゑ次第不同席順滅茶[めつちや]何となれバ今の大家の數限りなけれバなり

一おぼろ宗
小説の癖直しハこの宗が元祖なり小説の癖つけも亦この宗が元祖なり語を換て言バ古い癖を直したれど更に新しい癖をつけたといふことなり、この門に入る者ハ極實の極美のと自分ハ言ねどよその言ふ種々なる議論を腦裡にゑがきつゝ書くに限るなり故に逆茂木に制せられて存外舞臺が小くなることあり、度々[どど]流義を改め斯うでもない彼でもない寧[いつそ]お休が宜らうと門を鎖て[とぢて]「今日賣切れ申候」と貼て置くもよし、小説の主眼ハ百八煩惱を冩すじや迄とそツけなく起てそツけなく終るが得意なりされど其間に流石ハ/\と二口續けて言せるだけの妙ハ備へるなり、小説繁昌の節ハ緘默しチトさびれた頃を見計つて小説ハ文壇上の美術なり數コツト笠トン重マ委リオツト富ライ於ムレツ雷スカレイを凌駕するの傑作を出だせ出せやと一遍通り觸廻つて扠又自分ハ門を鎖ることこの宗の眞言祕密なり委くハ大久保邊に行て[ゆいて]内にか外にかお宿にかと呼ぶべし多分返辭あらん、大江の千里といふ曲者早くよりこの宗を膾[ぬた]によみ載て新古今に在り曰くテレもせず困りもはてぬ春の舎のおぼろづくりにしくものぞなき、試みに安宅松の壽司に命じおぼろを食せろといへば味ひハ大概知れるなり、待間がつらくバ朧の罪や松の影と鼻唄をうたうべし是れなん煙草輪に吹く變體なり(あとハおひ/\)

(續)
一二葉宗
又の名を四迷宗と云ふ迷宗ハ迷執なり或ひハ曰く妄執なり妄執の雲晴れやらぬ朧夜の戀に迷ひし吾心と長唄鷺娘にあり蓋しこの宗の寶物「浮雲」をよみ込み且おぼろ宗と縁引の由を言現せるものならんこの宗も昨今門を鎖ぢ居れりこれでハ如何あれでハ如何と迷ひまようて幾度[いくたび]となく膏藥を練るなり名ハ其體を現すとか四迷とあるも前世の約束なり四辻に立て泣た唐の伯父さんもこれにハ及ばぬと申しゝよし臺がオロシヤゆゑ緻密/\と滅法緻密がるを好しとす「煙管を持つた煙草を丸めた鴈首へ入れた火をつけた吸つた煙を吹いた」と斯く言ふべし吸附煙草の形容に五六分位費ること雜作もなし其間[そのま]に煙草ハ大概燃切るものなり緻密が主と成て本尊に向ひ下に居らうと聲を懸るときあれども敢て問はぬなり唯緻密/\と緻密の算段に全力を盡すべし算段ハ二葉より芳しと評判されること請合なりをり/\飜譯するもよし但し緻密を忘れさへせねバ成るべく首[あたま]も尾[しり]もないものを擇ぶべし

一篁村宗
この宗ハ一切輕きを貴ぶ[たつとぶ]尤も篁村宗それ自身が貴ぶにあらず世間に於て貴ぶなり吹けバ飛ぶよなものなりとも其邊にハ一向頓着[とんぢやく]せぬがよしマアいゝよ僕ハ僕だよといふ氣組いつもありたきことなり主眼ハと問はゞ洒落と答へて獨り呑込むべし趣向ハ深きを忌む、深けれバ自然重くるしきを以てなり一名を竹の舎宗と云ふ竹繁れバ藪となる、藪ハ平凡醫者の仇名なり平凡醫者ハお太鼓を兼ぬるが多し故に輕口なりこの宗の輕いのハこれと異れどもこれと似て見せるなり治國平天下風なく波なくいつもお目出度に限る、京傳かイヽヤ三馬だ三馬かイヽヤ其磧だ其磧かイヽヤ篁村だ(秋成ハ略)と斯く極込ながら何處やら臭い所無きにしもなり否な保存し置て偶ま生煎えの宗敵に嗅せて遣ることあり「仕合の風吹井の浦、其評判も高師の濱」等其一例にして烏に對する案山子とハ譯がちがうなり冷かしたでもなく冷さぬでもなく輕徴の間[あひだ]おのづから妙あるものと宗徒ハ勿論和尚も承知し居るべしこの宗ハ肉食妻帶を禁ずお膳の上にハ柚味噌と根岸だけに山椒のつくだ煎チヨイと箸の先へ引掛て甜りながら獨酌でやつて居る氣味合なり今にお肴が出るよと云ふのを何かと見れバ湯豆腐と知るべし他宗から喧しいのが來れバ兔角々立てならないよ縁無き衆生ハ度し難しと横を向く然らずハいゝサ/\と頤で返事する等呉々も自得といふことこの宗肝心のひめ言なりこの頃この宗の爲に三味を彈き「篁村宗將に弘布せられんとす」と觸れたる信切者あるを見受けたり(あとハ追ひ/\)

(續)
一美妙宗
この宗にハ祕藏のお經あり言文一致と名く飽迄お經に醉て衣紋をつくろふ見得上戸なり一頃ハお難有を唱ふる者頗ぶる多く小説の近道こゝを渡れと大繁昌を極めたれど當節ハチト寂れて「漸塞や石の佛を刻む音」なり何でも一夜漬じや甘酒流じやと口上を附てこれが美妙宗の本體じやといふ者ハあまり開帖せぬが得手なり想ふに雜兵の服を着て敵將に近かんとしたる何某の軍略に傚へるものならん或者この宗を銀流しと申たり不埒なることをと段々考へ見るに早く剥るとにハあらずして早く出來るとの謂なりし扠々名譽の事共かなこの宗の初級ハマア斯うやるべし「向ふから來たのハ男です、下駄を穿て居ます、ガ跡が減て居ます、そして頭ハ刈込前の散髮です、フケの雪が襟の麓に積つて居さうです、これが女なら何うでせう?、髷を結て居るに相違ありません。」又時々千古未發の新説を挾むことあり其雛形ハ下の如し「酒を豬口に注げバ、豬口の形です、酒を桝に注げバ、桝の形です、實に酒ハ方圓の器に隨ひます、水も亦其の通りです、ガ水ハ醉ません、けれども酒も水も流動體です。」總じてこの宗ハ執心に經文を誦するなり他宗の耳へ入らうとも入るまいとも斷えず休まず言文一致經をくりひろげること、頭に尊稱辭「ゴ」を加へ「デ、ゴザイマス」で結めバ御苦勞で御座いますと申たき程と知るべし

一紅葉宗
硯友大師の繩張内に在て一段逞しきを紅葉宗と云ふ紅葉ハもみぢなりもみぢの錦神のまに/\この宗神佛混淆と見ゆ雅俗折衷と云ふも蓋し所以あるなり樂天氣取るらく焚紅葉、焚くハ護摩なり鳴るハ瀧なり護摩を修するや凡人の得知らぬ祕法あり製すれバ菓子となり消れバ灰となる皆この護摩焚の所行なり什物三つ曰く……曰く――曰く《 》隨分目まぐるしく用ふ其用法ハ文盲手引草なる一書を以てこの宗自ら世に公けにしたれバ略す但ちらーほら、あやーふや、ありやーこりや等一流一手の名器なり西鶴といふ曲者を匿まひ力めてオツなる仕立方に據り省筆/\と矢鱈不性勝に世を送ること專一なり少々ハ俗物に解せざるも雅客にハ矢張通ぜざる程を上加減とす是れ雅俗折衷の本旨にして容易に内兜を見透されぬ法なり冶態世を惑し錦衣愚を駭かすと物の本にありたるを見て上の句を美妙宗に送り下の句を紅葉宗に贈らんと至極勘の惡き男の呟きたるも可笑しこの宗ハ文に綴たつもり字に書たつもりで實ハ自分の肚裡に納得し居るを好しとすウムハテナ、ウムハテナと向ふ裏のうつけが忘れ物を探すが如き心意氣いつも身の周りを取卷居るやう心懸くべし趣向ハ支離でも頭でも金銀手當り次第の箔を塗てこれハ旨いと言せること肝要なり旨いと言た男に解たかと聞けバ何うかネとばかり跡を言ぬこと不思議なり是れ不性旨義の常にて不性なれバ行渉らず渡らバ錦なかや絶なんとの教なりとぞ要するにこの宗ハ町内の頭[かしら]婚禮の媒妁を頼まれ高砂の稽古已に濟て羽織袴を着けたる嬉しさ何うだと頭を突出して挨拶する形あり折衷ぶる調合が得意と覺く薩摩汁を拵へそこねた覺悟大切なり「いづれ煮たもの――南瓜と唐茄子」(オヤ貴郎イヽヱ嘘オホヽ)これが紅葉宗の身上なりこの宗の奧義を知まく欲せバ先づこの解釋を試みるべし及第落第ハ大概これにて知れるなり兔角この宗ハインキの高下に拘らず節儉を旨とし言たきこと半分限り見合せて然かも腹の減らぬ宗旨と知るべし二月の花よりもくれなゐと云バ節儉或ひハ吝嗇なるやも知る可らずこの宗子飼の納所ひとりあり惡太郎と呼ぶなか/\まめなる奴なり

一思軒宗
この宗を八宗の一つに數ふるハ無理なり無理なれどもお宗旨なり其無理といふハ隣家の釜を借て飯を炊くが如く飜譯づくめなれバなり其無理なれどもといふハ隣釜の飯炊なりとも小説道にをり/\踏込まるれバなりお經ハ簡潔一方スラ/\なるを上品と定む、請ふ之れを看よと拂子の先に銘打て取り掛るなり「渠ハシカく往たり渠ハシカく歸れり」と片假名の肩を怒らせて召仕ひの小女に八つ當りするやうの風ある亦妙なりたとヘバ霜沍已に甚だしといふ日、前の前の前の朝買たる納豆の殘りにて湯漬を食ふの格と知るべし平たく云ヘバ禪味たつぷり或る他の味ぽつちりといふことなり董酒山門に入るを許さずこの宗ハ餘り廣まらぬが本意ならん故に拙者正太夫も委くハ説かず隨喜の涙ハ各々の勝手たるべき事(まだあるよ)

小説八宗に付て [緑雨醒客]

看客諸君よ醒客ハ飛んだ取次を仰付つたり飛んだお相伴を蒙つたりお下に御座つて一通りシノ入の合方お聞下さるれバ難有しとこれをお辭儀に代て偖て其仔細斯うで御座る曩に[さきに]正直正太夫先生「小説八宗」なるものを我社に寄せ是非共之れを登録すべし厭なら厭で考へあり其分にハ差置かぬと大刀[だんびら]を振て躍り込まれたり鐵札か金札かと問るれバ兌換紙幣が宜い位ゐの答ハかねてより醒客の方寸にあることなれど一篇の寄書と命とハ孰れが重いかチト判斷に窮しマア/\待て[まつて]と怖さが一杯、前後の分別も無く「小説八宗」に紙面を割いて遣りたる處正太夫先生ハ苦肉の計略うまく參つたとお肚の裡にニツコと笑ひ刀を鞘に收めて八宗の内
おぼろ
二葉(又の名四迷)
篁村
美妙
紅葉
思軒
の六宗を一纏めに擔ぎ込まれたり醒客以爲らく苟くも文筆の上に白浪的の文句を竝べて押掛聟なら嫁の見切者なりとも探さんが押掛寄書とハ卑怯の至なりと、再た以爲らく正太夫如きに嬲られて無理往生を遂たるハ返す/″\も卑怯の至なりと、看客諸君よ前の以爲らくと後の以爲らくと孰らが優るかお暇もあらバ御檢定下されたし閑話ハ棚へ上て其後正太夫氏そよとの風の音づれもなけれバ如何在する[おはする]と尋ね合せたるに正太夫先生ハツタと目を瞋らせ[いからせ]おれハ病氣なり病氣ゆゑ出來ぬなり氣が向たら送て呉れう然し跡の宗名でも聞せて遣らうか
南翠(又の名古蒼、香沁) 天香(又の名即眞、桂華)
これが前八宗の殘り二宗なりさて又續々組入るべきハ
(次第不同)
學海 おむろ 鴎外 思案 忍月 露伴 蓼洲 漣 柳浪 香雪
漁山 眉山 九華 柚阿彌 採菊 涙香 朝霞 桃水 藺溪 柳香
柳塢 錦城 湘煙 曙
等の諸宗派にして穿鑿せバ猶ほ有るべし有れバ有り次第宗旨を説いて初にも言ふ如く初學者入門の杖柱と致さんこの旨相心得申せと飽迄大刀を立ぬいたる挨拶なり然る處この頃に至り我社編輯課及び醒客の許へ宛てゝ東西南北あちら樣よりもこちら樣よりも「小説八宗」に付て種々さま/″\なる投書有之或るハ載せよと云ひ或るハ載せるなと云ふ一々正太夫先生に談合したきも醒客生れての大刀嫌ひなり決して臆病なるにハあらねど拔かバ切れると思ふが故に大嫌ひなり依て出しぬいてこゝに看客諸君に御相談の爲め其投書共殘りなく掲げて御覽に入るべし

拜啓正直正太夫といふ人そも何處の何者輕妙の諷刺竪横十文字奇絶妙絶彌よ出でゝ彌よ妙謹んで切拔いて匣底に藏むたとへ正太夫氏と相見るの幸なきも其音づれの聞たさ萬一御しりあいでハないかとお尋
緑雨先生 むぐらもち

これハ四谷の消印封じ文なり正太夫先生よりもこのむぐらもちこそ何處の何者輕妙のお尋ねと申べけれ醒客つら/\其手蹟を按ずるに何處やらおもう坪の内おぼろ氣ながら記臆に存れど[のこれど]今暫らくハ考へ物なり但し正太夫先生の素性を知たく欲ひ玉はゞ浪士福岡貢若くハ勢州山田油屋の娼妓おこんの墓に就てお尋あるべし

正直正太夫小説八宗掲載有之候得共右ハ無學の私にハ相分り兼候間以後ハ廢され度それとも種無し紙埋めに候はゞ兔も角御深意の程願度一錢散財お察し

兩文社御中 神田小川町

これハ神田の消印一錢散財とある通り葉書なり正太夫先生ハ小説初級生の栞なりと自慢し小川町氏ハ無學の者にハ分らぬと癪づかるコイツ商賣上大關係ありと一同頭を押へたりぬ(未完)