かすかな違和感

例によって正字・正假名使ひの爲のアンテナ経由で。


歴史的仮名遣いでブログを書いているひとは結構居て、まあ人それぞれだから別に良いとは思う*1んですが。


その様なページの中で「關數」という記述を発見したんですが、僕に云わせるとこれはかなりおかしい。

何がおかしいって、実は今の「関数」というのは代替表記で、本当は(新字体の漢字でかくと)「函数」が正しい表記なんだよなあ。旧字体は知りません。

僕なんかは「ハコに入れる」って云う感じが好きなので「函数」という表記の方を採用している訳なんですが(まあちょっと検索し難いですが)。


歴史的仮名遣いとか洒落込んでる割には、こう詰めが甘いというか、なんか「歴史的仮名遣ひと旧字体で書いて居る私は格好良いでせう」みたいな感じを受けざるを得ないのでした(どんな感じだ)。


要は、徹底して使うなら正確な方を使えという話しです。

まあ、「函数」の方が正統だよ、といふ指摘自体はもっともで有益なものではあるし、僕なんかは「ハコに入れる」って云う感じが好きなのでといふやうな、代用表記では足りないものがあるといふ考へ方にも大いに共感するし、徹底して使うなら正確な方を使えといふまじめな趣旨にも大賛成だけれども。「かすかな違和感」があるので書いてみよう。
旧仮名について注でといっても読み難いのはどうにかしてほしい。あと検索し難いしねと言っておきながら、自分が「函数」と書くことについてまあちょっと検索し難いですがと軽く書いてるのはギャグなのかな、「これはひどい」と読者を笑はせるやうな。「「函数」なんて読みにくいからどうにかしてくれ」とか言ってみようか。
特に「関数」とする表記を支持するつもりも無いけど、さう書く人が「函数」を知らないからだ、詰めが甘いと決めつけていいものかどうか。「ハコに入れる」って云う感じが嫌ひだから、(代用表記なんぞは使ひたくないが)「関数」と書く人もゐるかも知れない。一般的ではない「函数」なんて書き方をすると洒落込んでるなんて邪推されさうだからやめとくか、と思ふ人もゐるかも知れない。どちらも半分は冗談だが、ほんとにそんな人がゐてもをかしくない。「函数」といふ一つの表記を知らない(或いは単に使はない)だけでそんなに責められるべきだらうか。
歴史的仮名遣いとか洒落込んでる割には云々はどうなんだらうか。さういふ感じを受けざるを得ないについては、それこそ、そのやうに間違った感じを受けるひとは結構居て、まあ人それぞれだから別に良いとは思うんですがとでも答へるしかないけども。
それと、揚げ足取りのやうだけど、洒落込んでるだけのバカには詰めが甘いといふ批判が当らないでせう。正しい表記を追求してゐるわけではなく「洒落込んでる」だけなんだから。
追記。ついでながらメモ。

全くもってその通りでござる。この「函数」という訳語は、音と意味を移した名訳語であることが知られていて、「関数」に違和感を表明する年配の数学者は数多い。


どうでもいいけど、俺なんか歴史的仮名遣いで書く人で思い浮かべるのは吉田夏彦先生なので、右翼趣味で歴史的仮名遣いのやつ見ると超違和感を感じますが。

呉さんが『デジタル思考とアナログ思考』を紹介してたかな。