「古いから正しい」ではなく「古いから正しいこと【も】ある」

タイトルに補足すると、「そもそも本当に古いのか」といふ問題もある。
かなり遅れてしまったが自分のためにメモ。
大和但馬屋日記世代 2006年12月13日水曜日 恣意的な判断が、「バージョンアップ」といふ表現などかなり分りやすく書かれてゐるので正仮名を全く知らない人にも読んでもらひたい。

これは正仮名擁護に活用(悪用?)できさうな感じがする。別にヘンに改革しなくていいか辺り。

全然関係ないけど , 漢字に二つの音を当てるのは良くない――と云う主張には断固反対である , 何故なら例えば重と云う文字にomoi - おもい -と云う呼びと jyu - じゅう - と云う字があるが , これを解消しようと云うなら漢字がサラニ増えると云う事になる . だとするとタダでさえ漢字をロクに覚えていない - 覚える気がない - 自分としてはコマる .

あれだ , あと正しくをまさしくと間違える―――と云う人も居るけど正しく HTML を書くべきであるをまさしくと読む人はアマリ居ないでしょう .

人間は大体文脈で判断できるンだから , プログラミングみたいにヘンに厳密に遣る必要は無いよ , タダ少なくとも自分は現状の日本語にアルテイド満足しているンで別にヘンに改革しなくていいか . 意味は通っているし―――ね .

ついでながら。

素朴な疑問。四十七士*1の討入りで有名な赤穗(赤穂)はあかほと書いてアコーと讀むけれど、なぜ『現代かなづかい』では「あこう」なのだらう。

単に伸ばす音は「う」で表すのが通例だから、といふだけのことなのでは? それ以上に何かあるんでせうか。いまひとつ趣旨がわからないけど、「何でオぢゃなくてウなんだよ。それが適切だと新仮名派以外にも納得させられるのか」といふ素朴な詰問ならば大いに賛同といふか雷同したいところです。
ついでながらメモ。

歴史的假名遣の定める書き方に從ふ「正しい書き方」があれば、「現代仮名遣」の定める書き方に從ふ「正しい書き方」もある。この時の「正しい」は、それぞれの假名遣の規則の下で「正しい」と云ふ事。
「歴史的假名遣と『現代仮名遣』とではどちらが正しいのか」を判斷する時、判斷する基準は「それぞれの假名遣の規則」とは異るレヴェルの基準となる。
話し言葉は即座に消滅するが、書き言葉は話し言葉よりも長期間保存される。假名遣は書き言葉の規則である。この時、書き言葉として長期保存される事を大前提に考へるならば、歴史的に變更がない事が望ましい事になるし、それが「正しい」事になる。「書き言葉は歴史的に變更がない事が正しい」――この事が承認される時、それを前提に「歴史的假名遣の方が『現代仮名遣』よりも正しい」と言ふ事が出來る。