『ことばの遊び学』見坊豪紀 PHP研究所 1980年
第一章で子供時代の思ひ出。特に満洲の話が面白い。(p9〜)
言葉の正誤を判定する基準。塚原鉄雄の提案を要約して紹介。その日本語が1,あるか2,正しいか3,適当かと三段階に見てゆく。[具体例が少ないのでやや分りにくい](p32〜)
- あるか(例、翻訳の「夜は若かった」。1で不合格だがよく分る、可能。)
- 1,実際にあるか(同じ例が他にもあるか)
- 2,日本語としてあり得るか
- 正しいか
- 1,誤りか
- 2,正確か
- 適当か(例、敬語の使ひ方。文法的に正しくても、その場面に相応しくなければだめ)
- 1,妥当か
- 2,適切か
「波紋を投げる」は「湯を沸かす」の同類と考へると誤りでないとも考へられる、と言ふ。(p111)
「もしもし」が変ってしまった、呼び掛けの言葉のはずなのに受け手が使ふやうになってしまった、とのこと。(p122)
「鴨なんばん」の「なんばん」は「南蛮」ではない。「なんば」は難波(ねぎの名産地)。(p138)
「東洋の魔女」はソ連では「超人」のやうないい意味で使ってゐた。(p139)
オールコック『大君の都』にある話。江戸の通訳は、二百年前の古いオランダ語しか知らず、ヒュースケンの現代オランダ語を文法的にでたらめだと非難した。(p144)
「祿」が旧字。(p73)