『辞書をつくる』見坊豪紀 玉川選書 1976年

京助先生のお名前を借りて世に行なわれている国語辞書は十指に余る。その多くは、先生のお人柄につけ入って単にお名前を利用しようとしたに過ぎないものである。(p139)

ずいぶんと一方的で恩師に甘い書きやうだ。
「いぎたない」を「居汚い」と誤解・誤用してゐる実例の紹介。古いものは大正10年。(p13)
『明解国語辞典』改訂版での「おんな」の語釈の「改良」の話。堂々めぐりが起こらないように極力努力したとのことだが方針としてはともかく具体例としてはそれほど良くないと思ふ。(p23〜)
昭和6年放映の古い映画を見たら女房が夫に向かって言うことばが、じつにていねいだったとのこと。なさらないの?して下さいななど。(p149)
「気持ち」を必ず「心持ち」と言ふなど、落語の言語はやはり様式言語である。(p154)
「帰りかける/帰りがけ」のやうに複合動詞は連濁を起こさないで、名詞化すると起こすのだが、「着かへる/着がへ」を「着がへる」と言ふこともあり、これは法則に合わない。(p154)
「チンケ」はばくち打ちの用語で、最低の一の目をいうのが元。(p200)
「幕開け」は「幕開き」のなまり、「吹き抜け」は「吹き抜き」のなまり。幕空間を「吹き貫いた」からそう言うのである。(p220)
「ふと」は「ふっと」で、「ぼたん雪」はぼたぼた降る「ぼた雪」で、「不図」「牡丹雪」は当て字。「野垂れ死に」も当て字で、「のたれる」(倒れる)に「死に」がついた言葉。「正念場」は「性根場」が語源だと私は考えている。(p222)
注で『明治以来国字問題諸案集成』(1962、風間書房)を挙げてゐる。(p196)