の氏の『旧字旧かな入門』へのコメント


未だに話題になる邊が云々。俺は圖書館で借りただけ。「讀める」ページが少いデータ集を、わざわざ高い御金を出して買ひたいとは思はない。歴史的假名遣の確認なら、岩波国語辞典で十分だから、わざわざ「それ專用」の本を買ふ必要はないと思つてゐる。と言ふか、この手のデータ集を「必要とする」人と言ふのは何なのだらう。「辭書も持つてゐない人」? ――さう云ふ人が歴史的假名遣に興味を持つほど國語に關心を抱くものだらうか。あんまりその邊の事、この本の著者は深く考へてゐなかつたのではないかと思ふ。最近出る「旧字旧かな」關係の本の著者は、多分全員「よく考へない」で「それつぽい事」を本にしてゐるだけだと俺は思つてゐる。「美しい日本語」云々と言つてゐる萩野貞樹氏の本も、どうも變な記述が多い(『みなさんこれが美しい日本語ですよ』リヨン社)。そもそもの美意識が崩潰した現代に於て「美しい」と言つたつて、「感性は人それぞれ」みたいな價値相對主義的な反論が返つて來るのが落ち。未だに『私の國語教室』を越えた、説得力のある理論的な本が出てゐないと言ふのは何うかと思ふ。と言ふか、みんな「旧字旧かな」「旧字旧かな」と言つてゐるのが、俺は氣に入らない。「そんなに古いのが好きなのかよ」→「じゃあ古文で書け」みたいな非難・攻撃を誘發するだけなのに、「旧字旧かな」と「言はなければならない」と變に思ひ込んでしまつてゐる人が多過ぎる。

もう既に読んだ記事のはずだが、なんとなく目についたのでメモ。