「東京セブンローズ」の用字

井上ひさしの「東京セブンローズ」を途中まで。「舊字舊假名」として書かれてゐるけど、用字には粗が多い。「注文*1」「掘り廣げる*2」「濳って*3」「人參*4」「格鬪*5」「榮養*6」「模造*7」「一應*8」とか。

*1:「注文」=「註文」の代用表記。
*2:「廣げ(広)」=「擴げ(拡)」の代用表記。
*3:「濳」=「潛」の異體字。
*4:「人參(人参)」=「人蔘」の代用表記。
*5:「格」=「挌」の代用表記。「挌鬪」が正しい。
*6:「營養」が正しい。
*7:「模」=「摸」の代用表記。「摸造」が正しい。
*8:「一應(一応)」は混同された別語。現代の意味では「一往」が正しい。

正しい表記を追求する姿勢にはもちろん大賛成なのだけれど、挙げてゐる例を根拠に「舊字舊假名」として書かれてゐるけど、用字には粗が多い。と言へるかどうか、やや疑はしい。
手元の『新編 大言海』(昭和五十七年二月二十八日。本文は元のままらしい)を引くと、

  • 「一應」はいちわう(一往)ニ同ジとある。
  • 「榮養」の説明に此語、營養ト書クハ、誤ナリとある。
  • 「かくとう」の見出しで「格闘」しか無い。
  • 「ちュうもん」に「注文」しか無い。「ちュう」には両方の字がある。
  • 「にんじん」に「人參」しか無い。
  • 「ひろがる」などに「弘・廣」しか無い。
  • 「もさく」は「摸索」。「もぞう」は「模造」。

となってゐる。決定的ではないが、当時の用字の参考になる。
「そんな表記をするやうでは、(現代の)正字正かな派としてまだまだだな」とは言へるかも知れないが、井上は時代の雰囲気を出すために当時の平均的な用字を再現しただけなのだらうから、通じない批判だらう。
追記。書き終って「正字・正假名使ひの爲のアンテナ」を見たらもう訂正されてゐた。早い早い。と言ってもたまたま同じ時間に見てゐただけだらうけど。
それと、挙げてゐる用字例は現代の正字正かな派が追求する分にはそれなりに適切なのではないかと。(以上追記)
ついでにメモ。「井上ひさし『東京セブンローズ』が書かない『美しき國語』の歴史」についてのコメント。

10ページの記事に良く詰込んだと思はれる程、多くの事實が記載されてゐるので、興味のある人は探して讀むがよろしい。もつとも、興味のある人は既に大體の事實は知つてゐる筈である。そして、興味のない人は、自分からこの手の事にコミットしようとしないから、私が何を言つても無駄であらう。

このあたりが、正字正仮名を薦める文章を書くときに心すべき点だ。といふより、書いてゐるとその点を意識したくなくても痛感する。当然ではあるが『私の国語教室』の書き出しも福田氏がこのジレンマに無感覚でなかったことを感じさせる。