呉智英の一「信者」としては狂ったやうに(?)氏の論語解釈を擁護したい(2)

「信者」として狂ったやうに(?)抗議

『現代人の論語』はどこかにしまひ込んだままで手元に無いから及び腰の「抗議」になってしまひさうだが。

議論の本筋は、

喜六郎は、呉智英が「誤」と言つた、と云ふ事で、喜んでしまつて、「なぜ誤と言つたのか」を考へず、結論としての「誤」と云ふ事を錦の御旗のやうに押し立てて、それで「松原信者」を默らせようと考へた。

といふことで、論語解釈に踏み込むのも呉さんへの言及もおまけでしかないやうだけれど。それにしても、山本七平の價値觀(と一致する呉智英の價値觀)」などと山本七平と一からげにするのはひどすぎる。
呉さんは山本や谷沢永一の「通俗人生論としての論語」観を批判してますよ(『読書家の新技術』か『バカにつける薬』か思ひ出せない)。むしろ

孔子は、確かにトゲトゲしさがなく温である」と山本氏は言ふ。が孔子は時に激しく怒つた男なのだ。

との孔子観に共感する側ですよ。
それに、闇黒日記(Googleキャッシュ)平成十六年九月十二日で、

と言ふか、看板が「やくざ」でも「銀座のママ」でも、「学べる」とされて書かれてゐる事は、讀んでも何一つ學べないよ。「身に着く」と云ふ事が「學ぶ」と云ふ事であるのならば。山本七平とかの「論語に学ぶ」の類を讀んだところで何も學べないのと同じ。
一方で、呉智英論語に關する本はとても面白いしとても役に立つのだが、これは所謂「実学」の本とは全然違ふし、實用には何の役にも立たない。

と呉さんをそれなりに評価してらっしゃるのだし、呉さんが山本七平なみと誤解されるやうな書き方はどうにかして頂きたいところです。

呉智英の解釈

呉智英曰、井上靖孔子」では、人間の道に外れたことに対する怒りがこみ上げてくると食事も忘れる、となっている。初歩的な誤訳である。これでは、孔子は単なる癇癪持ちになってしまう。楽しみて以て憂いを忘ると続くことに思いを致さなければならない。

  • 呉智英は、「孔子は温和だ」から「怒らない」に決つてゐて、そこで「怒る」と云ふ解釋をするのは誤、と言つてゐる。

さうではなくて、「怒る」と食事も忘れるといふ解釈だと単なる癇癪持ち・怒りん坊になってしまふではないか、といふ批判。
手元に『現代人の論語』が無いから、呉氏が「温和である人が時に怒る人であつても矛盾はない」と言つてゐるかどうか分らないが、そのやうな激しい理想主義を高く評価してゐる筈。「温和にして激しい氣性」と云ふ見方を(たぶん)してゐる。宰予や原壌への孔子の怒りについても述べてゐたと思ふ(これも「たぶん」)。

「発憤忘食」の解釈

以下、まだ書きかけ。再開。タイトルを訂正。(1)としてしまってゐた。
「黄色だ黒だ」とかいふ人がろくに論語を読まず考へなしに受売りの非難をしてゐることは異論の余地が無いとして。やはり「怒り」と解釈するのは(絶対的に誤りとは言へないにしても)一般的ではないし、良い解釈でもないと思ふ。
根拠としては同じ篇に、

07-08 子曰。不憤不啓。不悱不發。舉一隅。不以三隅反。則不復也。
子(し)曰(いわ)く、憤(いきどお)らざれば啓(けい)せず。悱(ひ)せざれば発せず。一隅(いちぐう)を挙(あ)げて、三隅(さんぐう)をもって反(かえ)さざれば、またせざるなり。

といふ章があり、これは「怒り」と解釈するのは無理なので。もっとも文脈によって意味が違ふことはあり得るから決定的ではないけども。
それと、これは解釈といふよりは孔子観の問題だから人によって見解が分れるだらうが、「怒り」とするとどうしても孔子は単なる癇癪持ちになってしまうから、どうも納得できない。もっともこれにも反論は可能で、「この場面では孔子が余裕をもって自分を語ってゐるのだから、自分を戯画化して癇癪持ちにしてゐるのだ」と言へなくもない。和辻哲郎孔子』がややこれに近い解釈をしてゐたやうな……。これも記憶が曖昧。
どちらにしても、激しかつた男・孔子の証拠とするなら異論の余地が無い、他にもっと適切な例があるだらうから、その点では松原氏のミスだらうと思ふ。

簡野道明補註の『論語集註』では、以下のやうな割註があります。

未得。則發憤而忘食。已得。則樂之而忘憂。以是二者。俛焉日有孳孳。而不知年數之不足。但自言其好學之篤耳。然深味之。則見其全體至極。純亦不已之妙。有非聖人不能及者。蓋凡夫子自言類如此。學者宜致思焉。

此のやうな事が書かれて在ります。此の割註の部分は、朱子学の祖、宋朱熹の手になる集註です。恐らく「但自言其好學之篤耳」の部分が、「学問の情熱(意慾)」と解釈される所以なのかと思はれます。

徂徠の『論語徴 (1)』では、

未だ得ざれば則ち「憤りを發して食を忘れ」、已に得れば則ち「之を樂しんで憂ひを忘る」。但だその學を好むの篤きを言ふ耳。

と。また『禮記』を引用し、

「『小雅』に曰く、「高山をば仰ぐ、景行をば行く」と。子曰はく、『詩』の仁を好すること此の如し。道に郷つて行く。中道にして廢む。身の老いぬることを忘れて、年敷の足らざることを知らず。俛焉として日に孳孳たること有り、斃れて而うして后に已む」正に此れと相ひ發す。知命の言なり。(略)古言相ひ通ず。

と。

これらの引用によると、朱子は『禮記』の記述を援用して解釈した(読むのが常識だからことわらなかったのだらうか)、徂徠も特に異論はない但し論拠を『禮記』と明記した、といふことなのだらうか。
「但自言其好學之篤耳」の部分が、「学問の情熱(意慾)」と解釈される所以なのではなく、「憤(いきどお)らざれば啓(けい)せず。悱(ひ)せざれば発せず。」についての朱注によるのでせう。憤者,心求通而未得之意。といふことで。
参考

子曰:「不憤不啟,不悱不發,舉一隅不以三隅反,則不復也。」憤,房粉反。悱,芳匪反。復,扶又反。憤者,心求通而未得之意。悱者,口欲言而未能之貌。啟,謂開其意。發,謂達其辭。物之有四隅者,舉一可知其三。反者,還以相證之義。復,再告也。上章已言聖人誨人不倦之意,因并記此,欲學者勉於用力,以為受教之地也。程子曰:「憤悱,誠意之見於色辭者也。待其誠至而後告之。既告之,又必待其自得,乃復告爾。」又曰:「不待憤悱而發,則知之不能堅固;待其憤悱而後發,則沛然矣。」