何か唐突に再開。書かなくなったのは理由もなく何となくだったな。何日か書かないでゐたら「書かないで(他の正字正かな派の日記などを)読むだけといふのも何だかなあ」と妙なこだはりが出て、読まず書かずが習慣化、それが悪循環になって・・・といふ感じ。
皆さん変らずお元気なんだらうか。まだ読みに行ってない。
Google日本語入力正字正かな辭書」を見てあれこれ書いてみようといふのが今回の再開のきっかけなのだけど、もう既に詳しく検討なり指摘なりした人がゐるのかもしれない。ともかく自分が気づいたことをとりあへず書くことにしないと。
Google日本語入力正字正かな辭書」で検索したら「本當にいろいろ不具合がある。それは一番のヘヴィユーザである俺がさう感じてゐるから間違ひはないが、」云々とあるのを見かけて、「人様が提供したものについて態度がでかい人だなあ」とか思ってしまったが、他ならぬ提供者御本人でした。しかもtwitterとは!
「皆さんお元気なんだらうか。の氏もお元気だらうか、万一twitterなんか始めてたら倒れてしまふな」なんて(妄想として)思ったもんだが、ほんとに始めてゐて吹きました。

下村湖人の『論語物語』、「校正中」ださうで。
あまりおすすめしたい代物ではないけども、「気持ち悪さを楽しむ」人ならばいいかも。
(例によって)うろ覚えだが、孔子に詰られて子路が・宰我が泣かされる等々。あれが「名作」ださうだから何とも妙な気分になるよ……。

「旧仮名はオレが発明した」

タイトルのやうな寓話を書かうと何度も思ひつつ未だに書いてない。書いてもどうせ面白くは書けないんだらうけど。
要するに「新仮名を改良すると旧仮名になる」といふことで、「彼」が自分の「発明した」仮名遣の良さを聞き手に吹聴して困惑させるといふ御話。「彼」は何故か国語関連の常識がきれいさっぱり欠落してゐて旧仮名の存在を知らず、新仮名の不合理な点を改良して独自の仮名遣を考案した。……のだが実はそれは旧仮名とほとんど同じものだった、といふオチ。うろ覚えだがチェスタトンの『正統とは何か』に「新大陸発見のため船出したら自分の故郷を発見した」男の話があったな。



思ひついたことだけでも書いておかないとすぐ忘れてしまふので、書き散らしでいいから書いておく。
新仮名による正当化(弁護)と、改良点のアピール。
新仮名に「は・へ・を」があるから旧仮名のハ行やワ行もあっていい(弁護)。「ぢ・づ」も少数ながらあるのだから増やしてもいい(「づ」については「お馴染み」といふ感覚はあるのに例を思ひ出せない。「きづな←→つな」などだったかな)。「美しう←→美しく」など、「しゅう」よりも近さがよく意識できるのではないか(実際の所、ほとんど使ふことがないやうな気がするけど)。「言ひ・思ひ」などとするとイ音便の「い」が「見えてくる」。例へば「書いて」などだが、説明に「書きて」を持ち出すと「それは古典文法だろ」なんて言はれるのかな。それならば「『書く』だからカ行で、それなら『書ひて』になるわけはないだらうから」とでもすればいいのか。「考へる」などによってヤ行の「増える」などが見えてくる。「行かう」などは「行かん(行かむ)」との関連が意識できる。まあこれも「古典文法」を潔癖症的に拒否するならしょうがないけど。