「旧仮名はオレが発明した」

タイトルのやうな寓話を書かうと何度も思ひつつ未だに書いてない。書いてもどうせ面白くは書けないんだらうけど。
要するに「新仮名を改良すると旧仮名になる」といふことで、「彼」が自分の「発明した」仮名遣の良さを聞き手に吹聴して困惑させるといふ御話。「彼」は何故か国語関連の常識がきれいさっぱり欠落してゐて旧仮名の存在を知らず、新仮名の不合理な点を改良して独自の仮名遣を考案した。……のだが実はそれは旧仮名とほとんど同じものだった、といふオチ。うろ覚えだがチェスタトンの『正統とは何か』に「新大陸発見のため船出したら自分の故郷を発見した」男の話があったな。



思ひついたことだけでも書いておかないとすぐ忘れてしまふので、書き散らしでいいから書いておく。
新仮名による正当化(弁護)と、改良点のアピール。
新仮名に「は・へ・を」があるから旧仮名のハ行やワ行もあっていい(弁護)。「ぢ・づ」も少数ながらあるのだから増やしてもいい(「づ」については「お馴染み」といふ感覚はあるのに例を思ひ出せない。「きづな←→つな」などだったかな)。「美しう←→美しく」など、「しゅう」よりも近さがよく意識できるのではないか(実際の所、ほとんど使ふことがないやうな気がするけど)。「言ひ・思ひ」などとするとイ音便の「い」が「見えてくる」。例へば「書いて」などだが、説明に「書きて」を持ち出すと「それは古典文法だろ」なんて言はれるのかな。それならば「『書く』だからカ行で、それなら『書ひて』になるわけはないだらうから」とでもすればいいのか。「考へる」などによってヤ行の「増える」などが見えてくる。「行かう」などは「行かん(行かむ)」との関連が意識できる。まあこれも「古典文法」を潔癖症的に拒否するならしょうがないけど。