井上靖『孔子』

新潮社平成元年。初出は『新潮』昭和六十二年六月号〜平成元年五月号
全413ページ。全五章。各章が五つほどに分れてゐる。
歴史小説らしいのは一章と五章で「私」の生国(蔡)に関する部分程度で、他は講演会のやうな感じがするがどうなのだらう。「監事」や「司会者」や「研究会の会員」とか「発言の機会」とか。
「地球上」といふ言葉が何度か出て来る(p55など)が、いいのか。
「司城貞子」は姓名ではなく実名は分らないのだと「私」が説明する辺り、歴史物らしい面白さがあると思ふのだが(p48)、すぐ後のページで(p50)登場人物の発言で「昭侯」とあるのはどうなのか。発言そのままではなく要約といふことなのだらうか。
「接輿」についてp84とp124とで解釈が違ふ。窓の外からの声なのか、輿に近づいて来たのか。
「子はいつも冉求を、“求や”と、独特の親しさをこめてお呼びになっていました」(p59)。
「子は車から降りて、馬を労るおつもりか、手綱を執っておられました。」(p82)
「桀溺ははりつけの溺れ者、長沮はのっぽの泥まみれ。なかなか辛辣、的確な命名であります」(p124)。
p88に「発憤」のこと。
p85あたり、隠者などといふ気の利いたものではない云々。

「吻とした気持」(p4)といふ言葉は知らなかった。検索しても分らないので今度調べよう。
抱き合って別れを惜しむ(p4)のには違和感があるが支那のことよくは知らないから何とも。

読み返すのが面倒になったのでこれで(二章の半ば)止めにする。