宇野哲人『論語新釈』

「例の件」って松原氏の件でしたっけ。
(原文のまゝ)といふのは「樂しみては便ち食を忘るるに至る」「己まず」のことでせうか。
どうなのかなあ。「両極」とあるからと言って、(著者が)「憤」は憤慨の意味だと言ってゐると読んでいいのかどうか。
その本は持ってゐないけど、同氏の『論語新釈』では、「○憤りを発す=心の奮ひ起ること」「事物の道理を研究してわからないと、何とかして知らうとして、憤りを発して食事することも忘れてしまひ、」とあるので、そのやうなむきになってゐる状態が「楽」の対極といふ趣旨なのかもしれないし。