権威主義者も反権威主義者も苦手である

例によって、正字・正假名使ひの爲のアンテナ経由で。


「日本語の乱れ」を嘆き、文法的な正しさや語源的な正しさを振りかざす権威主義的なひとは苦手である。権威主義的なひとというのは何も他人の誤用を指摘する側だけにいるのではない。誤用を指摘されたことで卑屈になって異常に恥ずかしがるのも同様に権威主義に毒されている。

それは結構なお話だけど、反権威主義に毒された人にありがちな書き方なのが何ともかんとも。

だいたい、現代仮名遣いと常用漢字を使って文を書いている現代人に「本来の正しい日本語」を求めても詮なかろう。

何やら意味不明。常連の読者にしか分らないことなのだらうか。

現実に通用していることばと文法のどちらが本質かといえば現実に通用していることばにきまっている。規則なんて本当はないのかもしれないのだ。

へーほー、なるほど。それはそれで(いちおう)いいとして、例へば華やかりし、華やかなりし、華やかかりしでは「現実に通用して」ゐる言葉について、おかしいなと感じるだろう。とか変だと思うとかこの言いかたはおかしいと思うとか書いてゐるのはいったいなぜなのだらうか。「本質」に文句をつけてゐるやうに「誤読」されかねない文章は訂正した方がいいやうな気がしないこともない。

これも同アンテナ経由で。

どうもこちらも態度が一貫してゐないと言ふか、矛盾してゐると言ふか。