サルどもにつける薬(1)

正字・正假名使ひの爲のアンテナを漫読してゐたら、木村貴さんの地獄の箴言の喜六郎批判が目に留った。前からキ六浪(キは気違ひのキ)とかいふやつは変なことを書くバカだと思ってゐたが、それにしてもこれはひどい。詳しいことは木村さんが(バカでも分るやうに)懇切に批判してゐるので省くが、要するに野嵜さんの一度默つたら二度と口を利いてはいけないと云ふ法が何處にあるのですか。といふ発言の「法」を「法律」だと(恥しい)誤読をして居丈高に非難してゐるわけだ。
この手の異様に「誤読力」が強い輩が得意げに人を非難するのは恐ろしいことだと思ふ。バカにつける薬は無いと言ふから、キ六浪を批判してやっても手遅れだらうが、同じ「病気」の軽症の人たちがキ六浪やその同類の醜態を見て「病気」が治ることもあるかもしれない。サルどもの醜態を保存(転載ではなく引用)しておくのも少しだけは世のためになるだらう。
「過ちは繰返させませぬから」などと偉さうにほざいてみる。でも飽きたらすぐにやめよう。長くサルどもにつき合ふのは精神衛生上よろしくないから。
(タイトルは尊敬するゴチエイ先生の猿真似。)
気が進まないが早速バカ発言を引用しておく。


野嵜氏は、「もう何も言はない」と宣言したにも関わらず、説明も何もなく何食わぬ顔で発言を再開ことを非難されると、「法には触れていない」と宣ったのである。
つまり、道徳的怠惰を指摘されたのに法を盾に自己正当化を図ったのである。
普段、「法と道徳の峻別」を何とかのひとつ覚えのように訴えていたのは野嵜氏ら松原信者ではなかったのか?
さらに野嵜氏の盟友である木村貴氏は、盟友の知的怠惰を批判することもなく野嵜氏擁護をする始末である。

よくまあこんなに偉さうな態度がとれるものだ。笑はせてくれる。しかも幼稚な誤読に基づいて。さういへばキ六浪は木村氏や野嵜氏に何度か(何度も)批判されてゐたが、「知的怠惰」や「自己正当化」をあげつらふからには批判に対してさぞ立派に答へたのだらうな。今度確認してみよう。