近代デジタルライブラリーで、仮名遣習得法の本をあれこれ見た。まあやはり特に「発見」と感じるやうなことも無かったけど。「濁音仮名遣・清音仮名遣・音便仮名遣」と分類してゐるのが少し参考になるか、といふぐらゐ。

  • 音訓かなつかい教科書 / 大森惟中

『仮名遣ちかみち』で言及があったのはこれだらうな。

  • はなしことばのきそく / 石川倉次

仮名文字論者なので、主張は「例によって」だけども、「オは使はずヲを使ふやうにする」としてゐる(15コマ)のが少し面白い。「オが語頭ばかりなのと違ひヲの方は語のどこにでも使ひ慣れてゐるので」といふやうなこと。


大町桂月

 山口村さして下る。山上雜木林の中に、長さ四五寸の草の、形は土筆と福壽草とに似たるが、全體純白にて簇生せるを見る。兒等めづらしがりて、之を掘る。みな其名を知らず。水晶草とでも名を附けようと云ひ居る處へ、十歳ばかりの村童一人ぶら/\來たる。これは何といふ草にかと問へば、笑つて名を言はず。そんなものを東京へ持つて行つたら、笑はれちやアといふ。思ふに、あの邊りには多くして、村童には珍らしくも何ともなかるべし[#「何ともなかるべし」は底本では「何となもかるべし」]。それがまた我兒には珍らしき也。

メモ。

たぶん前に読んだのはこの本だと思ふんだが、たしか「吾輩は猫である」を古文に変へてみよう、といふ問題が面白かったやうに覚えてゐる。「我は猫なり、だと訓読みたいだから良くないですよ。主語無しで、猫にてあれど、とすればいい」といふやうな説明。例によってうろ覚え。