松永氏の21日の記事(「困ったなぁ」)、漠然とした書き方で、まともに相手にすると馬鹿を見るだけだな。

第二項・第三項以外は漠然とした一般論で反応のしやうもない。「ああ、誰もがさうだよね」か「まあ、その通りかもね」以外に感想は無いよ。具体的な指摘が無いから読者は松永氏と相手とどちらがより正しいか判断のしやうがない。だから結果として一方的な宣伝をして「勝つ」のと似た効果が結果として出てしまふから困ったものだ。



第二項。
「正しい表記」を追求する意識なんて誰も持ってなかった、と読めるのだけど。これも「邪推」「忖度」「改竄」といふことになる誤読かな。

わたしは、邪字邪かなが決してすっきりしたものであるとは思わないが、「これぞ正字正かな」「これぞ正統表記」というようなものも幻想だと思っているのである。

これは「たしかに旧字旧仮名はいくらか<すっきりした>ものであると言へるが、それでも……」と読んでいいのだらうか。もしさうなら旧字旧仮名が比較的「すっきりした」ものだと認めてゐるのぢゃないか。「これぞ正統表記」っていったい誰の考へ方だ。それは「忖度」ではないのか。
本筋ではないのだらうが、「邪字邪かな」といふ変な言葉を持ち出すのはいったい何のつもりなのやら。



第三項。「ヴァリアント」云々。結構なお話だけども、具体的にはさっぱり分らん。ヴァリアントは実際には考慮のほかといふのが具体的にどうしろといふ批判・不満なのか分らない。
歴史的仮名遣」と呼ぶと話がまぎらはしいので「歴史的語源的方式の表記」とでもしようか。その方式を支持する者からすると、旧仮名と言ふか「契沖仮名遣」が「より優れたもの」となるだらう。明治〜終戦までの日本のみを日本の伝統であると勘違いしなんてことではなく、「より優れた」方を支持してゐるだけ。
「どちらが、より優れてゐるか」といふ判断なんてするな、と言ひたいのだらうか。

「偉く見せよう」云々は「忖度」だよね。忖度はしていいのかいけないのか。


おお、の氏がコメント欄に登場。「曖昧な言ひ方」だといふ点で、私は野嵜氏に共感しますよ。でも、それはともかく論点は「徹底」の方なんだけどな。「私一個人の考へ方からすれば徹底」と読むべきなのかな。その辺に「誤読」の余地があるんだけどね。