まあ、適当に書いた「二行程度」の「批判」(未満)についてわざわざ補足なんかするのも妙だけれども一応。



二行程度で名指しではない批判ではあっても、底意地悪く特定の人に当てつけた書き方もたぶん出来るだらう。だが、例の批判は素直に読む限りでは誰かを攻撃する調子のものとは思へない。

「何う」は「どう」であつて「だう」ではないのだけれども、正かな派にすら「だうも」なんて書いてゐる人がゐたりする。何なのだらう。

「困ったものだ」とか「ちゃんとしてくれよ」といふ調子の文だらう。
それへの返答として、

その輩は何とかして私を貶めたいがために日々、現在も躍起になつてゐるのだけれども、

と書くのはどう考へても過剰反応だらう。
(もっとも、厳密にはこの時点では「その輩」が野嵜氏だと「斷じる」のは一応勝手な読みではあったのだが)
それに、特定の誰かへの批判でもないのに、「こゝではつきりとさせておきたいのだが、」云々と自分の立場をくどくど書いてゐるのには、「訊かれもしないのに何を得々と語ってゐるのやら」と思ってしまふ。
さういふ意味で「お医者さんに行った方が」云々と書いた。


名指しで批判されたわけでもないのに、しかも二〇行程度の批判に對してあの反應をした野嵜氏へは一言もなく、私に對してのみ醫者が必要と感じた根據は何なのでせうか。

まあ、「名指しではないのに」「あんたのことぢゃない」などと言はれたら誰だって苦笑するしかないな。なるほど(一応)ごもっとも。
上にも書いた通り量の問題ではないと思ふけど、量の問題だとしても二行程度と二十行程度では内容のまとまりが違ふだらう。


事情は問題とせず、私に妄想癖があると斷じた根據は何なのでせうか。

「事情はよく知らんけど、」と書いたのは、あの文章(「阿呆の考へ」)やその前の記事を読んだ程度だから、もちろん個人的な事情は分らない、その限りでは云々といふこと。「野嵜氏は悪意を持ってゐる」といふならたぶん妄想で過剰反応だと思ふが、全く別に「躍起になつてゐる」「その輩」がもしかしたら実在するのかも知れない、そんな「事情」は日記を読んだだけでは分らないので、万一さうならば話は別だが、といふこと。



ところで、「名指しでもないのに」とかの話になったので一応確認したほうがいいのかな。その後の展開からすると愚問だけども。
「阿呆の考へ」は具体的には誰に或いは何についての文章なんですか。野嵜氏を念頭に置いたものといふ解釈でいいんでせうか。三つの段落すべて同じ人(輩)について書いたんですか。