適当にさらさらさらす


だが、森英樹や木村貴氏などの人が行う「日本批判」は、自国を想えばこその発言というより、腕を組んでニヤニヤ笑みを浮かべながら「日本の後進性」を痛罵する日本の似非インテリ特有のスノビズムを感じるのは私だけだろうか?

お前だけだろ、とか適当。
(たぶんいつも通り)具体例を挙げてないから批判として全くの無意味だ。


ああ出た、「言論の自由」!
この語句は例の松原信者達も愛好するけど、つまり「言論の自由」というのは尊大な語り口のわりには内容の薄いブログ管理者が好む語句なんだろうな。

尊大な語り口のわりには内容の薄いブログ管理者であるキ六浪はこの言葉を嫌ってるみたいね。

つーか、たかがブログで「言論の自由」なんて仰々し過ぎるよなぁ…。
私なんかとてもじゃないが、「言論の自由」なんて恥ずかしすぎて言えん。

その割には、仰々しくて内容の薄い説教を恥づかしげもなくいつも書き連ねてゐるけどな。

言論の自由」を主張するなら、自分に都合の悪い言論も許容しなけりゃならないはずなんだけど、この手の連中は自分の批判は「言論」であり、相手の批判は「中傷」であるとか宣う。
全く便利な「言論の自由」もあったもんだ。

その通りその通りその通り。自己批判にしては何だか他人事みたいな調子で書いてるのが惜しいところだが。
あ、キ六浪は「無視」してるだけで、「中傷だとのたまふ」わけぢゃないから他人事か。なるほどね。

投稿者:匿名希望
2007/8/26 6:00
「正義」とか「言論の自由」とかを声高に叫ぶ奴には、まず疑ってかかるべきでしょう。それらの言葉も、使う人間によって説得力が違ってきますね。言葉が可哀想です。

ちゃんと読んだか、キ六浪?

投稿者:kirokuro
2007/8/26 23:37
私はあんまり「言論の自由」って言葉は好きじゃない。
西欧ではいざ知らず、日本的な「言論の自由」って単なる「俺にも好きに言わせろ」って意味でしかないんだと思う。

言葉は嫌ひでも「俺にもry」の自由の行使はちゃっかりやってるのな。