適当にさらす

言論の自由」満開だね、とでも言ひたくなる。


投稿者:kirokuro
2007/11/8 0:24
ちなみに自分は、「言論の自由」を唱えることが許されるのは、言論に命をかけてる人だけだと思う。
これはもちろん自分も含めてだけど、たかがブロガーが「言論の自由」を唱えるなんて烏滸がましいにも程がある。

例によって誰にでも(言ふだけなら)言へる結構なお説教。たかがブロガーがこんなお説教するなんてry程がある。

投稿者:一読者
2007/11/12 21:55
kirokurou 様

御文章を拝読しましたが、ずいぶんと酷なことを仰いますね。才能がない人間にプロのジャーナリズムが執筆の場を与えるはずがないでしょう。となれば、そういう才能のない輩はインターネットに頼る他ない訳です。これまでなら日記などにぶつけていた憤懣を、ネット上で公開して溜飲を下げているだけですよ。以前、そういう連中とのプロバイダー契約を認めるなと主張する書き込みを目にしましたが、それは謬見です。人間性のゆがんだ、ひがみ根性と自信過剰のアマルガムとしか言いようのない彼らの攻撃性が、いつ老人や幼女などの社会的弱者に向かうか、分からないからです。ならばネット上での言論活動(嗤)で、その予兆が分かれば事件の未然防止が少しでも可能になります。ここ数年の凶悪犯罪の多くが、三十代の無職男に引き起こされていることを忘れてはなりません。彼らがネットに残した足跡から、連中の病理を検証することも、他山の石とすべきでしょう。

という訳でkirokurouさん、そんな才能のない手合いどもに、ポケットの中の百円玉を恵んでやる程度の優しさは持ってあげましょう。見ていて愉快なものではありませんが、ベンチの背もたれの裏にはりついていたガムを触るようなことも、長い人生にはあることなのですから。

「彼らへの優しさを持って」といふ調子で書いてゐるが、「彼ら」ではなく「私」の間違ひだらう。それ以外は的確。ひがみ根性と自信過剰のアマルガムとしか言いようのない彼らの攻撃性など、とても自己批判とは思へないほどに冷静である。御文章を拝読といふ表現も、尊大なキ六浪への皮肉としてよく利いてゐてみごとだ。

投稿者:名無し
2007/11/8 18:31
 仰ることに同感です。表現手段として、ネットなど良くも悪くも、所詮その程度のものです。新聞や雑誌に掲載されない情報や主張があるという意見もありますが、別の見方をすれば、新聞や雑誌はそういう情報や主張を掲載しない良識を持ったメディアであるということです。
 最近、何でごはんを食べているのか、時間にとても余裕のある人がサイトやブログで大論文、大演説、悲壮感たっぷりの決意表明を発表しているのを目にすることがあります。それらを新聞や雑誌に投稿してみればいいのにと思いますが、さて、その投稿を編集部がどう判断するかはまた別問題です。
 また、「○×先生の主張が新聞や雑誌に載らないのはけしからん! 干されたのだ!」などと喚いて、その先生を待ち上げる活動をネットで展開している人たちはその先生や自分たちに問題はないのか(なかったのか)、一度自省してみるべきです。その先生の主張が本当に万人の支持を得るようなものなら、新聞や雑誌が放っておかないでしょう。自分たちの欠点を反省せずに、他人を責めてばかりいる連中ほど見苦しいものはありませんね。

以下の文だけは至言。キ六浪のバカはちゃんと読んだかな。
自分たちの欠点を反省せずに、他人を責めてばかりいる連中ほど見苦しいものはありませんね。

投稿者:kisitiro
2007/11/14 0:57
傲慢なのは、嘘つき経済記者とか神保町周辺で下手な写真を撮影している職業不詳の人でしょう? 今度セルフタイマーで、T書店の無量箱を必死に漁っているご自身の姿を写して公開していただきたいものです。

なんのことかなと思ひ、調べてみた。

これのことかあ。神保町周辺で下手な写真を撮影している職業不詳の人ねえ。確かにキ六浪はその通りだけど、当てこすりとしてひどすぎないか(爆笑)。「無箱」か、そんな結構なものがあるなら毎日通いたいなあ。
追記。
そもそも、ネットに頼らなくたって、色々発言の手段なんてあるじゃん。と他ならぬネットで書くのってどんなもんかねえ。